④⑤⑥⑦その後は工事進捗とともに地元自治体、住民を対象に、安全性を中心に理解を求めて説明を重ねることになった。農村地帯のことであり応援が得られるグループもなく、ひたすら「頼みます」の一本槍で協力を得るほかなかったが、紛争を招くこともなく進められたことが思い起こされる。荒尾市周辺の住宅地では、ルートの変更、安全性を強く求められ、冬の寒い夜、何度も地元説明会に出向き、火の気のない集会所で心身ともに冷え切り、導管建設の先行きの厳しさを思い知らされた。玉名市では、菊池川横断の関係で公道が利用できず農道に埋設を選んだが、近隣居住者の生活道路に当たっているため、兼業農家の主人が夜勤め先から帰宅するのを待ち、毎夜の如く夜討ちの恰好で訪問し、先方も当方の熱意を認め、反対される心配も杞憂に終わったなど有難い話もあった。天水町では、夏目漱石が「草枕」の中で明治30年に熊本から金蜂山の麓の峠を茶屋を通って小天の那古井の宿へ旅した時の那古井館の古い建物の跡が残っていた。熊本・河内への工事説明のため往復の途次横目に見ながら、明治の頃の人々の暮らしなど想像したが、当時を偲ばせるもの何もなく、明治は遠くなった、が実感であった。「草枕」の舞台となった前田家別邸完成当時の唐人川専用橋橋梁添架管10
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